私には、引っ越しうつの経験があります。
北陸にある友人の職場に、鹿児島から妻帯でやってきた人がいるそうです。妻さんは、さっそく引越し鬱(転居うつ)にかかられたとか。夫さんは、慣れ親しんだ仕事内容の職場に行くので、鬱まではならずにすんでいたみたいです。
でも、いきなり、縁もゆかりもない土地に、一人ぽつんとやってきた妻さんは、ちょっと大変だったみたいです。
気持ち、わかる~。
今日は、引越しうつについて、解決方法や回避方法などをまとめてみました。
引越しうつとは?
引越し鬱は、引っ越しブルーとも呼ばれます。
私は、大学に入学するために引越したことを皮切りに、元夫の転勤や転職に付き合って、十数回の引っ越しをしました。
その中で、引越しうつになったのは、学生時代をすごした町から、東京へ引っ越した時だけです。
そもそも、引越しって、新しい環境に突入する初めの儀式みたいなものだと思います。
引越しの多くは、入学、社会人になる、転勤する、転職する、結婚する、離婚する・・・
といった、人生の大きな節目に行われます。
慣れない土地へ行く不安、新しい環境で上手くやっていけるのかという不安。期待も膨らみますが、不安も膨らみますよね。特に、知人や友人がいない土地への引っ越しは、孤独と隣り合わせです。
ネットが発達し、メール、LINE、SNSで簡単に繋がれるようになりました。
でも、実際に会えるという安心感は、リアルに会えるというのは、今でも大きな意味を持つと思います。
そんな、リアルに会える友人がいない孤独から、うつ病を発症してしまう場合もあると言われています。
「あれ、ちょっとおかしいな」と思ったら、学生さんなら学校の相談室へ、社会人の方なら職場の産業医さんへ。
もしくは、心療内科や精神科へ、相談してみて欲しいと思います。
私は、それができなくて、かなりこじらせてしまいました。
私が引越しうつになった理由
私は、さっきも書いたように、学生時代を過ごした町でもあり、社会人スタートを切った町から、元夫の職場のあった東京へ引っ越した時に、引越しうつになりました。もうね、毎日毎日、ずっと泣いてました。
今のように、LINEやSNSがある時代ではありませんでした。
メールも、まだ全員が使えるわけではなくて、使っている人が少数派の時代でした。
スマホなんてなかったし、パソコンは数十万円もして、一般的ではなかったのです。
どうして引越し鬱になったのかと言うと、
1.知人・友人がいなかった
2.お金を稼いで自分の足で立てなくなった
の二つの理由があります。
まず、東京方面には、友人が一人いただけでした。
東京へ行くまで、学生寮に住んで、毎日ワイワイがやがやと過ごしてました。
個室だったから、一人にもなれる。台所やシャワー室、談話室は共用だったから、大概は誰かがいて話ができる。今で言うと、シェアハウスのような寮でした。
夕食のおかずを交換したり、パーティーをしたりと楽しく暮らしていました。
それが、急に、友人が一人しかいないアパート暮らしになり、寂しさいっぱいでした。私の地元も、東京からは遠くて、当時は電話代も高くて、そうそう両親の声も聞けませんでした。元夫は、とても忙しくて、朝方でないと帰宅しない感じでした。
そして、二つ目の理由。これが、私にとっては、とても大きな問題でした。
私は、家が低所得だったので、学生時代は授業料を免除してもらって、バイトで生活していました。学生寮に住んでいたおかげで、また、家庭教師や塾講師という単価のいいバイトにつけたおかげで、自分の食いぶちを自分で稼いでいました。
学生時代は気づかなかったけれど、このことは、私に自信を与えてくれてました。
自分の食いぶちを自分で稼げない事態になって、自信を失ってしまったんです。
私は、元々、自立心が強い方です。「女が四大へ行くなんて生意気」といじめられながら、4年制大学へ行きました。
って、もうね、このいじめのセリフって、何時代んだよって感じですね。
「女だから〇〇しなさい」
「女だから〇〇しちゃダメ」
私の両親は、そういうことは一切言いませんでした。
だから、大人になったら、自分も男性と同じように働くものだと思っていました。と、言いつつ、就活から逃げていた話は、後日書きますね。
今の時代では当たり前かもだけど、当時はなかなか難しかったのです。実は、卒業するという3月に内定を取り消しになりました。運よく、修士論文を書く時にお世話になった方に仕事を紹介してもらえて、学校行きながら仕事してました。
市の嘱託職員で、お給料は安かったけれど、とてもやりがいのある仕事で、同僚にも上司にも恵まれてました。
お給料が安かったので、相変わらずバイトも続けてました。
バイトも、家庭教師と塾講師だったので、やりがいがありました。
なので、やりがいのある仕事を持つ私→無職。
という現実が、とてもこたえたのです。
引越しうつを解決・回避する秘訣
私の引越し鬱は、転居して半年後に仕事が決まってから治りました。
友人は、相変わらず一人しかいなかったけれど、隣に住む大家さんとも仲良くなって。
東京の街を、楽しめるようにもなっていました。
東京の街を楽しめるようになってきたというのも、大きな理由です。私は、文京区に住んでいました。
下町情緒あふれる町で、上野も近かったので、よく動物園や美術館へ行きました。
当時、アパートにお風呂が無くて、銭湯へ行ってました。銭湯で、同世代の顔なじみもできました。
私の場合は、「〇〇の妻」というだけではなく、私個人で生きられる場が必要でした。こういう欲求って、多分、誰にでもあるんじゃないかな?
では、どうしたら引越し鬱を回避できるのかなと、考えてみました。
友人の妻さんは、結婚前に東京でバリバリと働いていました。結婚を機に関西へ移り住み、「支社があるから仕事を続ければ」と会社に引き留められながらも、専業主婦になりました。引越しうつになることなく、幸せにしています。
彼女は、多分、仕事をやり切った。もう、仕事は十分にやった。
「〇〇の妻」になったとしても、仕事をしていなくても、自分個人で自立できる。
そう信じていて、実際にその通りなんだと思います。
失業中に受けた職業訓練で一緒だった、東京でバリバリと働いていて関西に移り住んだ当時40代前半の女性は、仕事を辞めたことをとても後悔していました。同じように、東京でバリバリと働いていても、専業主婦を楽しめる人もいれば、不満な人もいる。
結局は、自分の価値観の問題なんだと思います。
仕事をしている自分が好きであれば、引越し先でも仕事をする。できたら、同じだけ稼ぐ。
一回仕事を辞めて、再就職する時に、いい条件の仕事はなかなか見つからない。でも、友だち見てると、そんな中でも資格を活かしたり、資格を取ったりで、みんな頑張っている。
私は、病気になって障害持ちになって、一回仕事を諦めたんだけど、友だちすごいなって思います。
逆に、仕事=稼ぐこと=自分の価値。
という価値観を、脱ぎ捨てることも大事だと思います。
私の、元友人に、こんな価値観の子がいます。
「人間の価値は、稼いでいる金額によって決まる」
この価値観についていなくて、友人止めました。
もちろん、生きるためにはお金が必要です。
お金を稼がないことは、その元友人にとっては悪なのかもしれません。
でもね、私たちは、もっと自分に甘くてもいいと思うんです。
仕事してない自分には価値がない。
そう信じていた新婚当時の私に、いやいや違うよ。
あなたは、それだけで価値があるんだよ。と、なぐさめてあげたいです。
仕事していても、してなくても、自分には価値がある。この、自己肯定感が、引越し鬱にならない秘訣だと思います。
これは、私の場合でしたが、学生さんの場合も同じだし、仕事を続けていた場合でも同じだと思います。
特に、希望の学校へ入れなかったとか、希望の会社に入れなかった、希望の仕事に就けなかった場合なんかは、自己肯定感が低くなってしまいます。
どこへ行っても、何をしていても、自分には存在価値がある。
そう信じられる人は、どこへ行っても生きていける。
そんな気がします。
そして、引越し先での生活を楽しめるようになることも、秘訣のひとつだと思います。
私が引越しうつになった理由と解決させた体験・回避の方法もご紹介しますのまとめ
私は、収入があることで自信を持っていて、無職になることで自信を失い引越し鬱になりました。
仕事を見つけたことと、引越し先での生活を楽しむことで解決しました。
引っ越し鬱にならないためには、仕事をしていても、していなくても、希望とは違った進路だったとしても、どこへ行っても、何をしていても、自分には存在価値がある。という、自己肯定感が大事だと思います。
さらには、引越し先での生活を楽しめるといいと思います。