うつ病を発症したのは仕事が忙しくて社員として大事にされなかったせいだった

*当サイトにはプロモーションが含まれます

私は、30代前半でうつ病を発症しています。原因は、仕事のストレスです。
無理しなければよかったと後悔しても、真面目な性格だったから仕方ないか。とも思うのですが、うつ病なんてならない方がいい。

今日は、私がうつ病を発症した体験についてまとめてみました。
うつ病で自殺(自死)した義弟のお話も、書きたいと思います。

スポンサーリンク

転職した仕事が忙しすぎてうつ病を発症した話

私は、大学院を修了して、ある企業(研究所)の研究職として働く予定でした。でも、卒業間際の3月になって、内定を取り消されたんです!怒りがわくよりも、途方に暮れて、どうしたらいいのかわからない状態でした。

それで、半年ほど就職浪人(フリーター)をしていて、ある地方自治体の嘱託職員(パート)をすることになりました。その仕事は、阪神淡路大震災の後の仮設住宅1,000戸を訪問して、相談に乗るというものでした。

やりがいもあり、同僚や上司にも恵まれて、楽しくお仕事できました。でも、非正規の嘱託職員だったので、お給料が安くて困りました。

結婚を機に東京へ転居し、その仕事は辞めました。
東京へ転居してから、すぐに引越し鬱になってしまい、泣き暮らす日々でした。「仕事がしたい~」と。

そんなある日、元夫が求人情報誌から、研究職の仕事を見つけてきてくれました。私は、その募集に飛びつき、採用されました。これが、後に災難になるとも知らずに。

A社での仕事は、自治体の各種研究をするというものでした。
例えば、私がやってたのは、子育て支援とか、男女共同参画などです。介護保険やら、保健関係やらというものもありました。

私がそこの会社にいる間にはなかったんですが、都市計画というまさに私の専門じゃないか。というものもあったようです。

このA社、とにかく激務でした。いわゆるブラックほどではないけれど、グレー?って感じでした。

時間的な拘束も長かったし、それよりも、入社してすぐにプロジェクトを5つくらい任されたのが辛かったです。誰だって、最初は素人です。見よう見まねで、仕事を覚えていくものだと思います。人を育てている余裕なんかなかったです。

私は、最近、3か月弱の長期入院をしました。その入院期間中に、夜勤デビューをした看護師さんが2人います。いつもは、夜勤は2人体制でした。でも、夜勤デビューの看護師さんがいた日は、3人体制で新人をフォローしてました。

正直、うらやましかったです。長い目で、育てるということに力を入れてもらえる職場環境がうらやましくて仕方なかったです。

A社は、人を全く大切にしない会社でした。それで、1年続く人が殆どいないんですね。なんでも、短い人は1週間で辞めたそうでした。

A社の社長、当時はパソコンが全くできませんでした。それで、自筆で下書きを作って、文字入力してもらったり、図表を作ってもらったりしてました。社長にとっては、私のように、自分とは関係ないところで仕事をしている研究職の者よりも、社長をフォローしている研究補佐員の方が大事でした。

パートやアルバイト扱いの研究補佐員の方が、待遇もお給料もよかったです。なんでやねん?

仕事が忙しいのは、そこそこ我慢できた。帰宅する頃にはスーパーが閉店しているから、仕事帰りに食材を買ってました。当時、お風呂のないアパートだったので、銭湯が閉まる前にダッシュしてました。

でも、社長が、社員を大事にしない社風が辛かったです。責任のある立場にいきなり立たせるのも、社員は使い捨てだと思われていたからです。

A社では、職歴関係なく、30代の女性を積極的に採用してました。理由は、無理難題を言っても、簡単には辞めないからだと聞きました。あと、男性だと、お給料が安すぎて、家族を養っていけないからでした。

私の在職中にも、何度か採用試験がありました。ある時、別の中堅所の同業会社の男性が面接に来ていて、採用の運びとなりました。
でも、その男性は、「A社の方が、今の会社での仕事よりやりがいはあると思う。でも、給料が安すぎて、生活できない」。という理由で、入社を断ってきました。だから、A社で働く男性は、独身か共働き(妻は正社員で夫より給料が高い)だったんです。

これが、30代の独身女性だったら?辞めたら、次の仕事を探すのは大変です。
だから、劣悪な労働条件でも、使い捨て扱いでも、我慢するしかなかったんです。次の仕事を探すのが大変な30代独身女性でも、長続きしないA社ってやっぱり変です。

私の場合は、使い捨てにされている感、大事にされていない感が非常にきつかったです。
そして、自分が全く関係ない分野の仕事をやらされることになり、パンクしました。

A社では、本人の専門は一切無視して仕事が割り振られていました。研究と言っても、素人でもできるレベルでした。自治体がお客さんなので、納品は3月です。実際には印刷物にして納品なので、4月にずれ込みます。

それで、いったんキリがついた4月の終わりに、私は燃え尽きました。

ゴールデンウィークのお休み中に「もう、仕事には行けない、行きたくない。仕事に行くくらいなら、死んだ方がましだ。このまま消えたい」と思って、家にあった風邪薬を一気飲みしました。

そして、元夫が付き添って病院へ行ってくれて、うつ病だと診断されました。それ以前から不眠があって、近所の心療内科には不定期に行ってました。不眠があった時点で気づいて、ちゃんと治療していればこじらせずにすんだかも。

結局、会社へは二度と行けなくて、退職しました。

スポンサーリンク

うつ病で義弟が自殺した話

暗い話です。

元夫には、妹が2人います。私からすると、元夫方に義妹義弟が2人ずついたことになります。

その内の一人のある義弟が、うつ病で自殺(自死)しています。原因は、住宅ローンの支払いでした。自身の家の住宅ローンではなくて、親の家の住宅ローンでした。

SEをしていた義弟には、実は、一度も会ったことがないままです。義弟の家庭は複雑だったらしくて、義妹は海外で新婚旅行を兼ねた結婚式をしました。私は、元夫の実家とは縁が薄くて、あまり頻繁には行ってませんでした。義弟は、おそらく生真面目な人だったと思います。

うつ病になって、仕事を休むようになり、収入が減り、住宅ローンを払うのが苦しくなって。まだ2歳にもならない子どもを残して、自殺してしまいました。

他にも、後輩の妹も、うつ病で自殺しています。別の後輩の妹も、うつ病で自殺しようとして大量服薬をして、生死をさまよいました。

うつ病は心の風邪というけれど甘く見てはいけない

よく、うつ病は心の風邪って言いませんか?

風邪ときくと、何だかうんと軽い病気にも思えます。でも、本気で自殺してしまう人がいるので、軽々しく風邪なんて言えません。

私は、発症時に、入院するように言われました。でも、元夫は、当時はまだ精神科に偏見があったので、自分が看るからと自宅療養にしました。薬が強くて、記憶があまりありません。動かないように、動けないようにして休ませるために、強い薬になってたんだと思います。

薬が減ってから、自殺の危険性が出てきた気がします。
ただ、私は踏みとどまったし、今後も踏みとどまり続けると思います。幸い、踏みとどまれる、まだ頑張れる状態でいられます。

ただ、油断は禁物です。私は今は、うつ病ではなくて、双極性障害という病名に変化しています。
うつ期には、やっぱり自殺企画をしそうになります。一人暮らしだから、誰も止めてくれないし、正直怖いです。

私がうつ病を発症した頃よりも、うつ病は市民権を得て、理解されるようになったと思います。『ツレがうつになりまして』という書籍と映画が売れたように、身近なことになってきた気もします。

うつ病って怖い病気なんだと気をつけないといけないと思うのです。

うつ病を発症したのは仕事が忙しくて社員として大事にされなかったせいだったのまとめ

私がうつ病を発症した原因は、

・仕事が忙しすぎた
・責任が重すぎた
・社員として大事にされなくて、使い捨ての駒扱いだったでした。

人によっては、理由なくうつ病になるのかもしれないです。

もし、今、これを読んでくれている人が多忙を極めていたり、ブラック企業で働いていたりするなら、病気になる前に手を打って欲しいと思います。日本には、生活保護というセーフティーネットがあります。

とにかく、生きること。それが大事だと思うんです。

スポンサーリンク
おすすめの記事