元夫は、より良い、より面白い研究がしたいという夢を追いかけて転職しました。しかし、病気になったことで、失職し、その後、転職を繰り返すことになりました。
夢を追いかけて失敗したわけですが、病気にさえなっていなければ、上手くいっていたと思います。
今日は、夢を追いかけることついて、まとめてみました。
夢を追いかけやってみる人生を生きる私編
私の父は、家庭の事情で大学へ行けませんでした。
かつ、色覚異常があって、行こうと思っていた工業系の実業高校へも行けませんでした。
代わりに行ったのは商業高校で、同級生は銀行に就職していったそうです。
でも、色覚異常だと、銀行には雇ってもらえなかったそうです。
父から聞いた話によると、偽札かどうか判別できないから。
というのが、採用されなかった理由だそうです。
当時と今は違うと思うし、今はどうなのかはわかりません。
ただ、父が応募した銀行では、そう言われたらしいです。
紆余曲折あって喫茶店を営むことになるのですが、父の信条として、
「やってもやらなくても、人間は後悔する。だったら、やって後悔した方がいい」というものがありました。
だから私は、若い頃は、やりたいことはやってきました。
特に、大学院へ2つも行ったのは、まさに、夢を追いかけてのことでした。
しかし、結果は、就活失敗の上、内定取り消しの就職浪人。
こんなはずじゃなかった。
こんなことなら、地元の大学に素直に行って就職すればよかった。
多くの友だちと同じく、地元の大学の教育学部へ行って、素直に地元で教師になればよかった。
でなくても、関西の大学の教育学部を出た後、大学院なんか行かずに、地元に帰って教員採用試験を受ければよかった。
そうすれば、安定した仕事に就けたのに・・・
私の人生で、自力で安定した生活ができたことがありません。
今も、これからも、もう安定した生活をするというのは無理かもしれません。
やっぱり、公務員は強いと思います。
甥が公務員なんですが、将来絶対に大丈夫だと思ったりします。
教員や保育士として、市や県に雇われている友だちを、心底うらやましく思ったりします。
「あー、安定って素晴らしい」と。
安定って素晴らしいとは思っても、公務員とか教員になるには年齢制限があります。
大学院を修了した時には、公務員の採用試験に応募することはできませんでした。
教員は、ピアノが弾けなくて、断念しました。
ピアノも、本気で教員になるつもりだったら、もっと真面目にやったと思うんですよね。
けど、そうじゃなかったから、とりあえず単位が取れればいいかと。
元夫の夢も破れて、今に至るわけですが、ここでまた私は夢を見ています。
このブログのタイトルにもあるように、ネットで稼いで食べていこうと。
今さら、雇用されたとして、満足のいくお給料がもらえる仕事にありつけるかどうかわかりません。
それに、聴覚過敏だから、人が沢山いる職場では働けません。
家でできる仕事として、ランサーズっていうクラウドソーシングの会社で、ライターをしたこともあります。
でも、最初の契約と違うことを要求されたり、興味のない話題ではどうにも書けなかったりで、長続きしませんでした。
これは、マズイ。
だったら、自営で働くしかない。
というわけで、何度目かの夢を見ている途中です。
私の好きなアルフィーというバンドのNHKの番組に、「終わらない夢」というのがあります。
「夢は、追い、つかみ、そして叶えるもの」と、彼らは言います。
それは、とても大変なことです。
みんなが夢を叶えられるわけではないけれど、ネットビジネスで食べていく。
でもって、海外移住するという夢は叶えたいと思っています。
同じように育った弟は、もっと現実的なんですがねぇ。
夢を追いかけやってみる人生を生きる元夫編
元夫も、夢見る人でした。
彼の父親は、彼が4歳の時に持病で急死しています。
彼は、自分の父親の通った大学へ行こうと思い、その夢を叶えました。
研究者になりたいと思い、大学院は博士課程まで行き、その夢も叶えました。
そして、研究職で公務員になり、やりがいと安定の両方を手に入れました。
夢は、叶ったんです。
しかし、元夫は、新たな大きな夢を見ました。
これまでにも書いたように、より面白い研究ができる場所へ行きたいと。
その夢も、叶いました。
しかし、病気になったことを機に、失職しました。
幸い、その後も職にはありつけたのですが、最後は、派遣のエンジニアとして働いていました。
でも、病気でちゃんと働けないから、試用期間の3か月で解雇されるということが続きました。
私と離婚後のことですが、とうとう派遣会社も解雇され、生活保護になりました。
その後、新たな仕事を見つけたのですが、そこも3か月で解雇されました。
より面白い研究ができる場へ行く。という夢を見なければ、安定した公務員として働いていたかもしれないです。病気になったとはいえ、公務員だったら、そうそう首にはならないと思うんです。
最近、元夫は、「あの時、夢に挑戦していなければ、こんなことにはならなかったのかな?」と弱音を吐きました。
ばかやろう!
もし、あの時、公募に応募していなければ。安定した暮らしをしていたでしょう。
しかし、今さら後悔するんじゃないよ!
それに、もし応募してなかったら、今度は、「あの時に応募していれば」と後悔したはずです。
上手くいかなかったのは、病気のせいです。仕方ないです。
夢を見て、叶えるためには、努力も必要だけど、運も必要だと思います。
夢は見ない方がいいのか
私の友人で、地方都市の芸術系の大学で教えている子がいます。
彼女は、学生に、「夢を見るな」と言っているそうです。
芸術系の学生は沢山いて、それで食べていくのは大変だそうです。
しかも、地方都市のその大学へ行く子は、そこまで才能があるわけでない。
だから、芸術で食べていくのは難しい。
というのが、彼女の持論です。
でも、彼女は、研究者になるという夢を見て、夢を叶えたんですがね。
まあ、一番したい研究は、大学の事情でできてないそうですが。
あと、最近、私は3か月ほど入院してまして。
その時にお世話になった看護師さんと、夢の話をしたんです。
彼は、夢より現実の人でした。
就職氷河期だったからと看護師になり、それできちんと生活している地に足の着いた人です。
下手に夢を見ない方が、幸せなんだろうか?
これは、もう、個人の価値観だと思います。
夢を見て、現時点では失敗している私。
夢を見て、現時点では失敗している元夫。
夢を見て、現時点では成功している友だち達。
夢を見ないで、現実的に生きている弟たち。
失敗していても、それはそれで、人生そんなもんさー。だと思います。
人生、まだ、折り返し地点です。
この先、どんな夢が叶うかわかりません。
ひとつ言えることは、人類は夢を見たからここまで来れたんだと思います。
空を飛びたいと思ったから、空が飛べるようになった。
月へ行こうと思ったから、宇宙へ行けるようになった。
飢えたくないと思ったから、品種改良をし、作物を育て、沢山食べられるようになった。
とにかく、夢を見る人がいなかったら、私たちの生活はもっと貧困だったと思います。
夢を見ないという生き方もアリだと思うし、夢を見るという生き方もアリだと思います。
最近読んだ本で、「後悔しない選択術」というのがあります。リスク分散の話とか、載ってます。
これを、若い時に読みたかった。と、思いました。
夢を追いかけるのは正解なのか?やって後悔やらずに後悔どっちを取る?のまとめ
夢を見るか、見ないか。やってみるのか、やらないのか。
正解はないと思います。
後悔しないためには、リスクをよく考えて行動するといいんじゃないかと思います。
私は、リスクを考えずに、やみくもに夢を追いかけてきました。元夫も同じです。
今は、やるかやらないか。どっちのリスクの方が高いのかを考えて、「やる」を選択しています。
ネットビジネスで成功する人は少ない、と言います。逆に言えば、成功している人が結構いるわけです。
よく言う、コップに半分の水が入っています。それを見て、どう思いますか?という問いに、
「半分しかないのか」と思うか、「半分もあるのか」と思うかの違いみたいなものでしょうか。
今は、ちゃんとした塾やスクールもあるし、情報はネット上にも落ちています。
こうやってブログを書いていて、時間的にはきついけど、楽しいですしね。